レーシック.jp 角膜矯正の歴史。1860年代にさかのぼる角膜手術について

 
1860年代に角膜手術の研究が始まりました。 眼鏡などの矯正器具を用いない治療方法として世界中の眼科医が研究を重ねてきた歴史があります。それまでにも、水晶体摘出による視力矯正手術はあったのですが、一番着目されたのは角膜でした。 角膜は、光の2/3の屈折を受け持っているので、視力矯正には最も効果があると考えられたのです。1900年代には欧米で手術が試みられましたが、当時は安全性が確立されていなかったため、一般的ではなかったようです。
角膜屈折治療の先駆けとなったのはRKと呼ばれる手術で、1939年に日本における角膜手術の始まりです。 RKは角膜周囲に放射状の切れ込みを入れることで角膜のカーブを軽減化して近視を治す方法で、1943年順天堂大学の佐藤勉教授が執刀しました。当初は強度の乱視に適用していたのですが、1950年代からは近視の矯正も行うようになりました。 角膜の表面と後面に放射状に切り込みをいれる方法で、この術式は「佐藤式RK」と呼ばれています。 しかし術後、角膜後面の切開が角膜内皮細胞の減少を引き起こし、 水抱性角膜症の原因になることが判明。また、この頃コンタクトレンズが開発されたこともあって、 1959年を最後に手術は行われなくなりました。
日本ではじまったRKを発展させたのは、ソ連のモスクワにある顕微手術眼科研究所の所長、フィヨドロフ博士でした。1972年、フィヨドロフは角膜の表面だけに放射状の切開痕を入れるRKを行いました。ある日、眼鏡を割って角膜を傷つけた少年が来院しました。ガラス摘出手術の後、角膜の傷が治ると同時に少年の視力は見事に回復していたのをきっかけに「佐藤式RK」を思い出します。そして動物実験などの結果、佐藤式RKの失敗が角膜後面の切開にあることを突き止め、1973年、ついに角膜前面のみからアプローチする安全性の高いRK手術を開発しました。
そしてこの歴史的な発明の手術は各国へ波及。
1975年にエキシマレーザーが開発されます。 エキシマレーザーとは、フッ素とアルゴンの混合ガスにより振動するレーザー(波長が非常に短い紫外光)を角膜に照射し、 角膜組織を薄く、かつ平滑に切除するというもの。RKで使用していたダイアモンドメスよりも正確性・安全性が高い方法です。
1985年にはエキシマレーザーを用いて角膜表面を平坦化させるPRKが開発されました。
エキシマレーザーは角膜に熱を与えずに形状を加工できるため、屈折異常の手術には欠かせないものとなりました。 角膜への影響も少なく、矯正効果も高いことから、角膜手術の主流は、RKからPRKへと転換してくことになります。こうして世界に広まったRK、PRKですが、この2つの方法では手術後に痛みがあること、視力が安定するまでに1ヶ月程度の時間がかかることが問題でした。 そしてその問題を解決したのがレーシック手術です。レーシックはPRKに見られた強度近視を矯正した後の角膜混濁がなく、回復が早いため、以後レーザー屈折矯正手術の主流になりました。
術後の角膜安定にはフラップをできるだけ薄く作るほうが有利です。 フラップを作る方法は「ケラトミレイシス」といい、角膜を薄く切り取ってフラップを作成し、凍らせてから精密に加工して角膜のカーブを変えてから元に戻すという方法でした。加工が難しいことと手術時間がかかるため、最初はあまり普及しませんでした。
しかし、1988年にALKが行われてから再び注目されるようになりました。
ALKは「ケラトミレイシス」のフラップ作成をマイクロケラトームという器具を用いて行います。
フラップを切り取らずに一部を残し、めくってその下を再びマイクロケラトームで削り取り、角膜のカーブを変えるという画期的な方法で、 それが1990年のレーシックにつながりました。

レーシックは角膜を削るときにエキシマレーザーを用いる点でALKと異なります。
1999年にはフラップを薄く作るため、PRKとレーシックを融合したようなレーゼック(ラセック)が開発されました。PRKと同じくエキシマレーザーを使うのですが、レーシック手術では角膜を蓋のように切除し、レーザー照射後に元の位置にかぶせるのが特徴。この蓋にあたる部分を「フラップ」といいます。フラップを元通りにすることによって傷の治癒が早まり、手術後1〜2時間程度で視力は回復します。
1990年にギリシャで初めて行われ、アメリカでは1995にエキシマレーザーの使用がFDA(アメリカ食品医薬品局)から許可されました。 韓国、シンガポールなどのアジア諸国にも次々と広まり、日本では2000年に厚生労働省が認可されました。
その後、アメリカなどで手術器具や術式に改良が加えられ、アールケーは2002年までにアメリカで120万件以上、カナダで約10万件など、世界中で行われるようになりました。 2004年にはオートレーゼックとも言えるエピレーシックが開発されました。
どちらも強度近視の場合は角膜混濁の発生が避けられないため、中度近視までの術式として行われています。 2001年に究極の屈折手術とも言うべきイントラレーシックが開発されました。
イントラレーシックはフラップをイントラレーザーで作るため、薄く精密で滑らかなフラップを作ることができるようになりました。イントラレーシックの登場によって、これまでレーシックやレーゼック、エピレーシックでは治療が困難な薄い角膜の方、非常に重い最強度近視の方にも治療が可能になりました。
術式とともにエキシマレーザー装置も発達しました。最先端のエキシマレーザー装置はウェーブフロントレーザーです。個々の角膜の違いにあわせてレーザーの照射を調整できるため、開発されたときは視力で2.0以上のスーパービジョンを目指すことも可能にしたと期待されました。
しかし、網膜の視細胞密度が影響しますので、軽度の近視以外はなかなか2.0以上の視力を達成することは難しいようです。それでもウェーブフロントレーザーとイントラレーザーを用いたイントラ・ウェーブフロントレーシックではほとんどの例で1.0以上に視力が回復するようになりました。